ぽむぜろアーカイブ

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【感想】ゴジラ-1.0みた

君は戦争を知っているか。

ゴジラ-1.0』みてきた!!ので忘れないうちに感想を書いておきます。
記憶は寝て起きると大半吹っ飛んじゃうらしいし、これから他のひとの感想とかをいっぱい見て影響されちゃうまえに、今の気持ちとかを残しておきます。感想って鮮魚。

あとなんか書いてるうちに文章どんどん硬くなっちゃった。作品のテーマ重いから茶化すかんじじゃなくて……。
ちょっぴりマジメモードな感想だけど笑わないでもらえるとありがたいです……!!

 

受け継がれるこころ

ゴジラ-1.0。2023/11/03に公開された東宝製作・配給の映画作品だ。キャッチコピーは「生きて、抗え」

監督・脚本・VFX山崎貴さんが担当されている。
山崎監督は『ALWAYS 三丁目の夕日』『永遠の0』『STAND BY ME ドラえもん』などを撮ってらっしゃるお方。なんだけど……私は山崎監督の担当をいずれも拝見したことがなかった。無知にして浅学。ゆるせ……。

もっと言えば、ゴジラシリーズについても詳しくなかった。『シン・ゴジラ(2016)』『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019)』は映画館で観て、とっても楽しんだんだけど……過去作品についての知識は特になかった。

さらに言えば……私は、戦争を知らなかった。

「戦後、日本。無(ゼロ)から(マイナス)へ。」

予告動画や公式HPに掲載されているこのコピー通り、ゴジラ-1.0の舞台は戦後の日本である。戦争によって荒廃しきった日本、絶望の淵にあった人々は、時の流れに従ってゆっくりとだが再生の道を踏み出そうとしていた。そんな復興途上の日本をふたたび蹂躙するのがゴジラだ。さいあくすぎる……。

ボロボロになったものが、その形をようやく取り戻そうとしているなかで、それを台無しに__マイナスに引きずり戻そうとするものが現れる。こんなこと!!いいはずないだろ!!って気持ちにさせられる。
これが登場人物の感情とまったくシンクロして、ドラマに完全に乗せられてしまうんだから、すごい舞台設定だなあと思う。最初に「戦後が舞台」と聞いたときはピンと来てなかったんだけど、いざ映像として目の当たりにしてしまうと感情がほんとに突き動かされてしまう。
戦争、知らないのにね。

今回の映画に登場する人物の多くは、「戦争を生き残ってしまった者たち」だ。私は戦争など経験したことはないし、知識も教科書レベルのものしかない。当時を知る人の話を聞くこともそうないし、なのに……これほどまでに彼らの「」に同じく心痛めて、苦しくなって、感情を揺さぶられてしまうのはなぜなのか。

きっとそれは複雑な感情を瞳に声に、所作の一つ一つに込めてしまえる役者さんの力。
それを表現し、ドラマとして完成させる監督はじめスタッフの方々の力。
そして、映画館という空間自体が持つ、「没入を促す」力。
あとは__私たちが持つ、日本人という性質のためだろうか。ナショナル・アイデンティティというか、この国に生まれ、生きているからこそ、自然に獲得した意識や価値観みたいなものがあるはず。いつの間にか育てて、身に付けていたもの。その一つが、戦争への忌避感なんじゃないだろうか。

「教科書レベルの知識」は決して軽んじることができるものじゃない。教科書は価値観を継承するメディアだ。それは教科書を通じて、語り継がれる意味があることなんだ。その忌避感は確かに今を生きる私へと受け継がれていて、そうした意識が、今回の『ゴジラ-1.0』を観るうえで大きく働いていたように思う。

こういう広く共有されるやんわりとした意識のことを、ここでは仮に「基盤」と呼んでみる。「基盤」は多くの人が宿すもので、だからこそそれに根ざした感情に訴えかける作品というものがしばしばある。

たとえば、『すずめの戸締まり(2022)』とか(シン・ゴジラもテーマとしては通底するところがある)。あれも扱っているテーマがすごくセンシティブで、戦争と同じぐらいに恐ろしく、陰惨なものだった。その恐ろしさ、陰惨さはやはりメディアを通じて広く伝えられていて、これから伝えていかなければならないものだと思う。そうした伝播と継承のなかで、この国を生きる私たちは基盤を作り上げていったんだ……。大切な連鎖が、私たちの中に息づいている!

 

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以降ネタバレあり感想!!!

 

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目次

「死に損なう」という呪い

ゴジラ-1.0』の主人公は神木隆之介くん演じる敷島(しきしま)浩一
敷島は戦闘機乗りで、戦時中に特攻命令を受けてた。けど機体トラブルを装って、整備部のいる大戸島基地に着陸する。作戦から逃げたんだね。整備部の橘さんは敷島をすっごい睨むけど、敷島は無言で追及から逃れようとする。
そしたら大戸島の伝説に伝わる怪物「呉爾羅」が基地を襲撃!橘さんは「戦闘機に乗って撃てーっ!!」って敷島に言うんだけど、敷島は恐怖に竦んで何もできなくて、その結果として敷島と橘さんを残して皆が命を失うことになってしまう。

東京へと戻る船の中で、敷島は橘さんから小さな紙袋を押しつけられる。その正体は、死んだ整備兵たちが身に付けていた家族写真だった。これは敷島を「戦争」に縛り付け、終わったはずのそれを彼の中で継続させるアイテムとなる。
写真そのものが呪縛の源というわけではなくて、写真が「あの日の選択」を無限に問いかけ続けてくるのだ。

誰が責めずとも、敷島は自分で自分を非難し、生きている限り追い詰め続ける……。典子さんに心情を吐露するシーンはあんまりにつらすぎてつらかった。ここ神木くんの演技が真に迫りすぎててすごいんだ……つら……。

己の中にずっと抱え込んで、リフレインさせ続けていた苦悩。それをはじめて、典子さんという他人に打ち明けた敷島はやっと一歩踏み出せそうになっていた。終わっても終わらない戦争から抜け出して、ついに自分の人生を歩み出そうとしていた……。そこにゴジラ!!うわーーー!!!

 

混ざり合った黒

銀座に上陸したゴジラ(めっちゃデカい)はやめてくれーー!!って叫びたくなるほど街も人も蹂躙していく。意味わかんない再生能力が意味わかんなさすぎてこわい。ゴジラって巨大化する前からあれ持ってたんでしょ?というか再生能力がバグって巨大化したとかだったよね……意味わかんない。こわい。
そして熱線!!背びれがガション!ガション!って後方から順に押し出されていって、てっぺんまで到着した直後にぜんぶが一気に押し込まれてビーム炸裂!!!なんか……令和!を感じた。VFXすご……。必殺技みたいですごいカッコいい演出だと思うし、その結果引き起こされるものがさいあくすぎて感情めちゃくちゃになる。

ようやく掴んだ一筋の光。希望への道標であった典子を失い、黒い雨に打たれながら慟哭する敷島……。この「慟哭」がただの慟哭じゃなくて、もう気が狂うほどの感情が込められた叫びでゾッとしてしまう。
凄まじい爆発があって、爆風がすべてを薙ぎ払って、吹き戻しが起きる。それが収まったときには何もかもが”無くなって”いて、敷島は典子の姿を探すまでもなく彼女の死を悟ってしまう。愕然と崩れ落ちて、声にならない声を零す敷島。深い深い虚無へ、絶望へと堕ちていく表情の演技が恐ろしい。

そして敷島の意識は、この惨状を引き起こした元凶__ゴジラへと向けられていく。不安、悲しみ、哀しみ、絶望、恐怖、そして憎悪。敷島の内面に起きた目まぐるしい変化がすべて瞳で表現されていて、思わず息を吞んでしまう。そして、極めつけにそれらの感情をすべてないまぜにした慟哭……!「黒い雨」という踏み込んだ演出がそこに重なり、こちらの感情までもを痛烈に揺さぶってくる。あまりにショッキングで、忘れがたい映像だった。

あまりに悲しく、恐ろしいシーンで。だけど、だからこそ、これを見たとき私は「観てよかった」と心から思えた。この表現は適切ではないかもしれないけど……胸を打つすばらしい映像だった。映画が「人の心を揺さぶるもの」だとしたら、この作品はとても素敵な映画だと思う。

 

ゴジラという戦争

「許しちゃくれないってことですか……」

典子の葬儀が執り行われるなか、敷島は整備部の写真を見つめその呪縛を感じ取る。自分が傲慢にも幸せになりたいと願ったから、このようなことになったのか?渇いた笑いを浮かべる敷島が痛々しい。なんで神木くんこんなに心を病んでしまった人の演技がうまいの?

そんな敷島に、仕事仲間の野田が民間で行われるゴジラ殲滅作戦の話を持ち掛けてくる。抜け殻のようになっていた敷島は、そこで瞳をゆっくりと動かして……また瞳の演技がすごい!!何!!?こわい。

野田の誘いは悪魔の囁きじみていたけど、野田は彼に何か生きる目的を与えなければならないと思ってあの場で声をかけたんだと思う。危うい状態であることは傍目にも明らかだっただろうし、実際あのままだと敷島どこかに姿を晦ますなりしちゃいそうだったし。

で、野田の目論見通りというか、敷島はやっぱりゴジラ打倒に食いつく。敷島にはそれをしなきゃならない理由ばかりがあったし、それを成し遂げるだけの覚悟……というより使命感とか、強迫観念とかそういうもの……があった。結局のところ、彼が橘に語ったことがすべてなんだ。終わっても終わらない戦争。それに今度こそ終止符を打つために、しなきゃならないことだった。ゴジラは敷島にとって「戦争」の恐怖と結びついていて、まさしくその具現といえた。

わざわざ「震電」の修理に橘を呼びつけた敷島の心の動きは、きっと彼自身と橘にしか分からないもので、その奇妙な因縁がとても良いと思った。あの日の惨劇に心を囚われ、生を呪われてしまった者。敷島は橘の戦争もまた終わっていないことを確信していて、彼と共に呪いを断ち切らなければならないと感じていた。

 

生き残る」という願い

ここでまた良いのが、橘が敷島に「生きて帰ってこい」と言えるところだ。
かつておめおめと戦地から遁走し、生きて帰ってきた敷島に非難のまなざしを浴びせた橘。そもそも、当時の風潮としてそういったものがあったんだろう。特攻兵の「死」は肯定され、「生」は否定される。しかし橘はゴジラへの特攻に向かおうとする敷島に対し、その「生」を肯定したのだ。
どれほど微々でも時代は確かに変わっていて、世界も人も前に進んでいこうとしている。生は肯定されるべきだ。当たり前だ。そんな当たり前の数々を、日本は少しずつ取り戻していったのだ。

そして橘にもまた、彼の生活があったはずで……。終戦より数年、橘は何を思っただろうか?多くの仲間を死に追いやった敷島の選択を憎み続けただろうか?そんなはずはない。一年は長くて、人の思考も、心もまたそう単純にはできていない。戦後は生きることも大変で、些事を乗り切ることで精一杯だったかもしれない。ともかく、橘はあの日の敷島の行動について、何か思いを巡らせることもあっただろう。許すとか、許さないとかではなくて、それでも多少の理解はできるようになったかもしれない。
生きろ」という言葉には、変わりゆく時代の中で……些細な日常のなかで、彼が見つけた命の意味が込められているのかもしれない。

海神(わだつみ)作戦の目標は「全員の生還」だった。生きていてほしい人がいる。だから、その人たちに生きてもらうために戦う。そして、戦う者たちもまた死んではならない。生きて、これから先の人生を生き続けるのだ。

戦争は忌まわしく、それを生き残った者たちに呪いを植え付けた。そして、忌まわしいからこそ、生き残った者たちに「命の意味」を教えたのだ。命は重い。言葉にするよりずっと、ずっと重い。
命が軽々しく失われていく様を目の当たりにしてきた者たちだからこそ、それを呪いと抱える者たちだからこそ、命の重みを理解することができるのだ。そして、そのような体験を後の世代にさせてはならないという想いもまた強く芽生える……。

作戦に臨む彼らの姿がカッコよく映るのは、そうした生を願う想いのためなのだと思う。生を尊いと感じるから、希望だと思うから、ぜったいに守りたい……その想いそのものがまた尊くて、それを胸に戦いへと挑む男たちがたまらなくカッコいいのだ……。

英雄とは自己犠牲の精神を持つ者だと誰かが言った。しかしそれは死を肯定するものではない。生の願いのために、危険へと飛び込んでいける高潔さが、英雄を英雄たらしめるのだ。

そして海神作戦はついに決行される。手に汗握る戦いとはまさにこのことで、映像から一瞬一秒たりとも目が離せなかった。映画館なんだから当たり前なんだけど、こういった没入ができるから映画館の力はすごい。完全に作戦に参加している一人のつもりで、緊迫感に喉を乾かせながら、拳を握って状況を追っていた。
ゴジラを海に沈めて、引き上げる。ただそれだけなのに、こんなにも胸が滾る。生を願う人々のエネルギーが、大きな流れとなって束なり、その壮大さに心打たれるのだ。生きようとする力をいっぱいに感じて、泣けてしまうのだ。
作戦成功の保証はなくて、それでも生きるためにやれるだけをやろうと、全てを注ぐ男たちの姿に……なにか生命の底力のようなものを感じて、胸がぎゅう~っといっぱいになるのだ。

ゴジラ-1.0はたまらなく生命賛美の物語をしている。ゴジラと戦争を結びつけ、絶対的な死の象徴とすることで、それを打ち倒すことに「絶対的なの肯定」という意味を持たせている。
どれほど世界が苦しくて、虚しくても。時代が、環境が、圧倒的な力が生を否定しようとしてきても、諦めず抗い続けるのだ。そうした鼓舞を、言語化せずに、しかし物語と映像に乗せて力強く届けてくれる。なんて頼もしく、優しく、あたたかい映画なんだろう。

思えば、敷島が特攻から逃げたのも「生きて帰ってきて」という家族の願いに応えようとしたからだった。
sacrifice(犠牲)の原義は「神聖化」……しかし、犠牲が、人の死が尊いものか。それはとても、とても悲しいことで。真に神聖な行為とは、「生きること」だ。
苦しみに溢れた世界でなお生き続けることに、生きようとする人の姿にこそ誠の尊さが宿るのだ。情けなくとも、詰られようとも、もがいて、生きるのだ。

ゴジラと心中し、戦争を終わらせようとしていた敷島は橘の「生きろ」という言葉で覚悟を決めた……死ぬ覚悟ではない、生きる覚悟だ。そして彼は、ついにゴジラを倒し生還してみせた。

「生きろ」という願いは敷島にとっての呪いを生み出したし……最後には呪いを打ち破る希望の力となったのである。

ゴジラという生の否定者、死の化身を打ち倒してなお、世界にはマイナスの種が満ち満ちている。典子の首筋に見えたものは、その一つの示唆といえるだろう。これで終わりではない。生きる限り、幾度もの苦痛と困難が立ちはだかることだろう。だがそれでも、それでもと全てを振り絞って、幾度だって挑み、切り拓いていくのだ。生きて__

生きて、抗え。

 

おわりに

なんかもうめちゃくちゃマジメになっちゃったし、テンションも上がりまくっちゃった。おかしいこと言ってたらごめん。見終わった直後だからホクホクしてて……ゆるして。
でもこうやってバグれる作品に出会えたことがいっぱいうれしいのです。感情がどんどん湧き出てくる作品っていいよね……。ゴジラも、監督も、戦争も知らなかったのに、こんなに楽しめた!!とっても素敵な映画です。

見終わってみれば、『ゴジラ-1.0』というタイトルや映画全体に漂う暗い雰囲気とは裏腹に、すごく明るくて前向きなメッセージを伝えてくれる作品だった。重苦しく感じていたキャッチコピーも、今ではすっかり頼もしい鼓舞にしか聞こえない。
「生きて、抗え。」……この言葉の意味が分かったことで、私はゴジラ-1.0にとても感謝している。観てよかった。観られてよかった!!
マイナスになっても、人はまたそこから立ち上がれる。何度だって……!!そんな勇気と元気をもらえる映画でした。さいごにCMのやつやっときます。

ゴジラ、最高ーーー!!!

 

おしまい。