ぽむぜろアーカイブ

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映画「すずめの戸締り」【感想】

2022/11/11公開の映画「すずめの戸締り」。これすっごいすきな作品で、観た当時ボロボロないたし舞台挨拶にもいきました。

今回また金曜ロードショーでみてたら「そういえば感想メモしてたな~」って思いだしたので、当時の長文そのまま貼っておきます!

その日のうちに書いたやつだからやっぱりテンションおかしいんだけど…よしなに!

新海誠の演出力!

序盤で好きなシーンは、イスに変えられてしまった草太さんとダイジンのドタバタチェイス

ここでジャズがかかって、場面を盛り上げていく。ジャズというのがまたニクい!椅子と猫が追いかけっこを繰り広げるその様にも、アニメーションの妙がある…これぞ!って感じ。

それからもう一つ、言及しなきゃいけないのが東京のミミズ!東京上空を覆い尽くすようにして広がる、不気味でおぞましい、巨大なうねり__。それを感知できぬ市民たちは、いつもと変わらぬ「生活」を送っている。

ここでなんてことのない、雑多な人々の暮らしが次々に切り取られ、映し出されていくのがまたキレてる。事態は禍々しい雲の上に立つ主人公の手にすべて委ねられていて……眼下に溢れる命が、どうしようもなく判断を強いる。非日常、非現実が、狂おしいほどに襲い来るのだ。

圧倒的な非現実が、「現実」に降って出て、それを侵してゆく。狂おしいほどに、狂った有り様が、現実に顕れてしまったのだ。常世と現世。隔絶されて、交わることのない2つの世界。顕れてはならなかったもの。存在するはずがない、存在してはいけないもの。それがミミズなのだ。

「何かがおかしい」の塊。埒外。理の外。生理的な嫌悪感を、否応なしに引き出す、この世ならざるもの。それを演出する力が、ピカイチなのである。

 

すずめが扉を閉めるわけ

この映画ってどんな映画?って質問に、簡潔に答えやすいのは良いことだとおもう。

すずめの戸締りは「主人公のすずめちゃんが、別世界と繋がる扉を閉じて災いを封じるお話」である。簡単!タイトルのまま、すずめが戸締りするストーリーなのだ!(タイトル登場がかっこよすぎる)

まず、主人公が能動的に関わる動機がはっきりしてる。草太さんへのあわい恋心。要石を抜いてしまった罪悪感…更にはその筋の第一人者である草太さんが椅子に変えられてしまったことで、協力しないと!っていう使命感もうまれる!

主人公が日常から非日常の世界に飛び込む、その導入としてすっきりしてる。好き!!

草太さんは常にすずめの動機である。だから椅子に変えられて、彼女を主人公として明確化させるのだ。この映画はすずめのストーリーだから、草太さんは彼女と比べるとまあ脇役…にあたるんだけど、作品としてのテーマを明示する、強烈にして重大な役割もになっている。

 

ロードムービーの一体感

さて、この作品に映画としての壮大さを与えているのが「ロードムービー」の形式である!

スマホの地図を介し、観客はたびたびその遠大な道筋を把握することとなるんだけど、これがおもしろい!距離というのは、漠然としていながらも、確かに数字としての側面をも含んでいて、わたしたちに実感をもたらす。

実際に長崎から神戸、神戸から東京を移動したことがなくとも、なんとなく分かってしまうのだ。距離という概念は、プリミティブな、本能的な知覚に訴えかける…。そしてロードムービーは、我々にキャラクターとの一体感をもたらすのだ!!

猫(ダイジン)を追ったその先で、すずめたちはミミズという異世界の災厄に遭遇し、扉に鍵を刺してそれを再び彼方に封じ込める。戸締りという儀式は、やっぱりシンプルで、わかりやすい。

行為の終着点は、鍵をかけること、ただそれだけなのだ。鍵をかける……ただそれだけなのに、非日常の演出がキレキレすぎて、エンターテインメント性が生じている。おもしろい。緊迫感がある。手に汗握る。頑張れと応援したくなる。ハラハラ、ドキドキ……これぞエンタメの醍醐味!!

周りの人には見えない。だから、自分がやるしかない。アニメや漫画でよくある動機付けのひとつだけど…その王道は、やっぱり面白いから王道なんだとおもう。

 

すずめという主人公

ちなみに観客は、まずすずめちゃんの瞳を介して非日常に入る。彼女の瞳に赤い影が映ったとき、わたしたちは一気に「この世ならざる世界」へと引き込まれるのだ!

すずめというキャラクターは、造形としてまったく普遍的、現実的である。舞台となる世界も、現実そのものだ。それが、「赤い影」の反射と同時に、フィクションと交錯し、融合していく。この切り替えがエンタメだ!

戸締りがストーリーの軸であるというのは、タイトルや初回の「戸締り」のインパクトではっきりと伝わる。戸締りは目的であり、結果であり、作品を象徴する行為なのだから、受け手の中にはなんとなく安心感が生じる。作品がわかるというのは、嬉しいことだ。

これから主人公が何をしていくのか。主人公はなんのために主人公を引き受けるのか。それらがはっきりしている作品には、足が生えている。どっしりと土を踏んで、安定する。地盤を作るということが、受け手の心を掴むだいいちの……「first」にして「prime」の要素なのだ!!

 

あふれるいのち

今作のテーマは、「」だ。生きるということ。何気なくでも、惰性であっても。一時間でも、一日でも長く。生きる。生きている。その尊さ、美しさ。そして、生きていたいという、心からの願い。祈り。あるいはそうした…やや高尚なものでもなくて、太古よりDNAに刻まれた、本能的な欲求のようなものかもしれない。

そうした、ないまぜの叫びを、音と形にする作品がこれなのだ。

そして今作は、テーマの現れ方というか、立ち上り方がとにかく美しい。初めてテーマに直で接触したのは、要石に変えられた草太さんの夢(モノローグ)である。

それは結果として伏線…って呼べるものになったんだけど、その時点ではさほどふかい意味はもってない。草太さんという人間のパーソナルな部分に切りこみ、同情や共感を煽る程度だ。しかしその時点では、たしかに不自然にではなく、意味を持った場面として機能しているのだ。このシーンが後々に強く強く響いて、テーマと作品を直結させることになるのだから、とってもすごい!!

このテーマは、3.11の文字と共に明確に現れてくる。すずめが母と死別していることは言及されていたけど、そこにこれほどまで大きなテーマが隠されていたとは…おもいもしなかった。

すべての関心は、戸締りと草太さんの解呪に向けられていたのだから。この種明かしには文字通り鳥肌がたった。東京のミミズで「百万人」という数字を示したのも、この地上に溢れる無数の命を、その存在を、すずめに、私たちに理解させるためだったのだ…。

 

「いってきます」と「おかえり」

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生活。いってきますとおかえりが繰り返される、生の営み。それのいかに尊いことか!いってきますとおかえりを言える、その幸せ。世界には営みがあるのだ。そして、あったのだ……。

草太さんの言葉に作品のすべてが凝縮されていて、わたしは震えた。世界は、この身一つじゃ足りない叫びで満ちているのだ。

それは命の叫び。性別も年齢も、性格だってバラバラで。思えば、ロードムービーの中ですずめが出会ってきた人たちも、みんなバラバラで、バラバラの生活を送っている。それでもみんな、生きているのだ。顔も、名も知らぬ誰かだってそうだ。いってきますとおかえり。誰かと誰かの些細なやりとり。その声、人生の中で重なって、束なっていく。そうして、命の叫びが、この世界を回し、創っていくのだ。

エンディング前の戸締りで「いってきます」。そしてラストの再会で「ただいま」!
これが最高……最高の映画でした。みれてよかった。出会えてよかった!!すっごく……生きたいって……生きていたいって思わせてくれる作品でした。

この作品に携わったすべてのひとに…いまいちど!ありがとうございます!!